器と心 辻村史朗
若き日の辻村史朗が残した手記。茶碗を作ることを志した若き日の辻村史朗が感じ、考えていたこと。45年以上の月日が流れた今も、同じようにモノづくりに向かう。
器と心 辻村史朗
(一九七三年『大阪消防』二九三・二九五号より転載)
野山を回って好みに合った土を採取してくる。それを木槌ではたいて、ふるいにかけ、水をまぜて粘土を作る。この仕事も、大量に工場で作られている粘土を使えば、何んの造作もないことなのだが、 そういう土は、欠点のない使いやすい土です。しかし裏をかえせば、 個性のない土ともいえます。
ざらざらの、のびない土
ねばねばで、すぐにへたる土
火に弱すぎる土
火に強すぎる土
それら欠点のある土も、ひとつ見方を変えれば、個性豊かな土ともいえます。と同時に、個性ある陶器も、その土によって出来うるものです。失敗も多いのですが......。
造る時の方法は、いろいろですが、私は今おもに、けりロクロを使用しています。これは、上下に二つの、まあるい盤がついていて下の盤を、足でけりながら、回すものです。速度調節が意のままになり、土との疏通が良いので、好んで使っています。
たださきほども、書きましたように、個性の強い土ゆえ、私の我を押すと、土の意がそこなわれます。しかし我が我が造ろうとするのですから、そのへんの噛み合わせが、なかなかうまくいきません。
人間が無作為の中で、ある形体を造った場合、古代から現代にいたるまで、ある種の共通点が、あるようにおもえます。過去から現代、そして未来へと、人の生き様は、さまざまに変化するでしょうが、その中で変わることのない何か、その何かにかかわりつつ創りつづけていきたいと想うのです。